ミステリーとしての読みどころ
カリブ海セント・オノレ島のリゾート、ゴールデン・パーム・ホテル。甥のレイモンドの好意で病後の療養に訪れたミス・マープルが、椰子の葉ずれと潮騒に身を預けるところから物語は始まります。1964年に発表された後期マープルの代表作で、安楽椅子探偵が文字通り南国のデッキチェアに腰を下ろしてしまうという、それだけで微笑ましい設定が大きな魅力です。
退役軍人パルグレイヴ少佐がマープル相手に長広舌をふるい、「殺人犯の写真を持っている」と財布を取り出した瞬間、マープルの肩越しに何かを見て急に話題を変える――この導入の鮮やかさに、まずクリスティーの巧さがにじみ出ます。翌朝、少佐は死体となって発見される。病死として処理されかけたその死を、セント・メアリ・ミード村の老婦人がほつれた糸を手繰るように静かに疑い始めるのです。
本作の白眉は、寝椅子から離れられない大富豪ジェイソン・ラフィール氏との出会いでしょう。皮肉屋で口の悪いラフィール氏と、温和ながら一歩も引かぬマープルの掛け合いは、まるで老練な漫才のように小気味よく、それでいて事件の核心を確実に抉っていきます。このコンビの結びつきが後年『復讐の女神』へと運命的に繋がっていくのも、シリーズ読者には堪らないところです。
南国の陽射しと、その下で進行する静かな悪意。手掛かりの拾い方、人物の見抜き方は晩年のクリスティーらしく抑制が効いており、派手な物理トリックではなく「人間の癖」を読み解く推理の妙に貫かれています。マープルが「私の村にも似た人がいた」と呟くたび、平凡な日常と猟奇のあいだの薄い膜が震える――その手触りこそが本書の醍醐味です。
マープル後期の二作『カリブ海の秘密』と『復讐の女神』を繋ぐ重要作であり、シリーズを通読される方には欠かせない一冊。永井淳氏の端正な訳文も読みやすく、夏の夜にゆっくり頁を繰っていただきたい逸品としてお薦めします。