ミステリーとしての読みどころ
朝、バントリー大佐邸ゴシントン・ホールの書斎で、見知らぬ若い金髪の女が銀のスパンコール・ドレスのまま、暖炉前のラグに倒れている――この一行のためだけに書かれたような長編です。クリスティ自身が「序文」で、書斎の死体は探偵小説のクリシェだ、と宣言した上で挑んだ確信犯。場所は徹底して紋切り型に、転がっている死体だけを最大限に「ありえないもの」にする、という設計が冒頭から効いています。
通報を受けてマープルを呼ぶのは、長年の友人バントリー夫人。「ねえジェーン、うちの書斎に死体があるのよ」と電話一本で叩き起こすこの導入が、もう全部好きです。マープルものの中でも本作は、村の井戸端会議を都会のリゾートホテルに延長したような構造で、ゴシントン・ホールと避暑地のホテルを舞台にしながら、結局は人間観察の書として一貫しています。
被害者ルビー・キーンはホテル付きの踊り子。資産家コンウェイ・ジェファソンとの関係、彼を巡る親族の利害、若い娘たちの友情と嫉妬――容疑者圏は広いのに、見取り図はずっとクリア。マープルは「セント・メアリ・ミードのあの娘とそっくり」式の照合法で、村の小さな出来事と大きな殺人を平然と並べてみせます。この距離感が本作の品の良さです。
ロジックの骨は、第一印象を疑うこと。「書斎にいる若い金髪の踊り子の死体」という強烈な像をそのまま信じていいのか、という一点に作者は全てを賭けていて、読者の目を堂々と誘導してきます。手掛かりはフェアに撒かれているのに、終盤にマープルが並べ替えてみせると景色がまるで変わる――その瞬間の驚きが、本作を本格マープルの代表作たらしめています。物理的な仕掛けではなく、人間の見え方の仕掛けで殴ってくる、まさに驚き型の王道。
山本やよい訳のクリスティー文庫版で、現代の読者にも文章のリズムが軽やか。マープル初挑戦の方にも、『牧師館の殺人』の次の一冊として迷いなく薦められます。「書斎の死体」という最も古典的な絵面を、最も古典的でない一手でひっくり返す。クリスティのプロット職人としての凄みが、二百数十ページの中にきっちり畳み込まれた一冊です。