本格ミステリとしての読みどころ
老人ホームで暮らす70代の四人組が、未解決事件を趣味で語り合っているうちに、足元で本物の事件に巻き込まれていく——あらすじを聞いただけで楽しそうな設定ですが、実際に読んでもとても楽しい一冊です。
著者のリチャード・オスマンは1970年生まれ、英国の人気テレビ司会者・コメディアンで、国民的な知名度を持つ人物。本書は彼の小説デビュー作で、原書は 2020 年 9 月にヴァイキング(ペンギン・ランダムハウス傘下)から刊行されました。デビュー作にして英国でクリスマス商戦の首位に立つなど大きな話題となり、シリーズは多言語に翻訳され、世界的ベストセラーへと育っています。
物語の舞台は、架空のケント州フェアヘイヴン村にある高級リタイアメント・ヴィレッジ「クーパーズ・チェイス」。修道院を改装した本館を中心に、現代的な棟も増設された施設です。ここに住む四人——シリーズの中心となるエリザベス、元看護師のジョイス・メドウクロフト、元労組系の活動家ロン・リッチー、元精神科医イブラヒム・アリフ——が、毎週木曜日に「ジグソー・ルーム」と呼ばれる部屋に集まって、未解決事件のファイルを眺めながら推理を披露するのが「木曜殺人クラブ」の活動です。火付け役は元警官の入居者がかつて持ち込んだ捜査資料、と説明されます。
物語が動き出すのは、施設の墓地と庭を再開発しようとする経営者側と、住人たちの対立を背景に、事件の関係者が殺害されたところから。趣味の延長だった「未解決事件の議論」が、目の前の本物の殺人捜査に変わっていく——という形で、四人組がそれぞれの持ち味を発揮していくことになります。
エリザベスは過去の経歴(諜報機関に近い仕事だったらしい、と仄めかされる)から人脈と段取りに長け、ジョイスは看護師として培った観察眼と聞き役の力が光る。ロンの押しの強さと交渉力、イブラヒムの分析的な視点が加わって、四人がバランスよく機能していく構図です。地元警察のドナとクリスのコンビが彼らとぶつかりながら捜査に巻き込まれていく流れも、シリーズの骨格を作っています。
語りの仕掛けで印象に残るのが、ジョイスの日記パートを章ごとに挟み込んでくる構成。第三人称の通常の語りと、ジョイスの一人称の日記が交互に置かれることで、事件の進行と並行して登場人物たちの体温や日常の手触りがしっかり伝わってきます。軽妙な掛け合いの裏で、老いや喪失、過去との折り合いといったテーマも穏やかに織り込まれていて、読後にじんわりとした余韻を残してくれる。
本格ミステリとしての構造もきちんと組まれていて、容疑者の整理、動機の描き分け、伏線の配置に手抜きがありません。重厚な英国警察ミステリと違って肩に力が入らないのが本書の長所で、クリスティ的な英国本格の遺伝子を現代の高齢者コミュニティに移植し、しかも親しみやすさを損なわずに成立させているところが見事。マープル老婦人の系譜を、四人組の合議制に拡張したような味わいです。
入手は早川書房・ハヤカワ・ミステリ(羽田詩津子訳)。文庫版もあり、Kindle・Audible 版も流通しています。シリーズはこのあと『木曜殺人クラブ 二度死んだ男』(本サイト #0047 で扱っています)、『木曜殺人クラブ 逸れた銃弾』(原題 The Bullet That Missed, 2022 / 邦訳は酒井貞道訳)などが翻訳刊行されており、Netflix で実写映画化もされました。これから本格ミステリを開拓したい方にも、英国本格のファンにも、間口の広いシリーズ第1作です。