ミステリーとしての読みどころ
クリスマスが近づくと、本格ミステリ好きの本棚から自然と引っ張り出される一冊があります。アガサ・クリスティー『ポアロのクリスマス』。1938年刊行、ポアロシリーズの第20作にあたる中期の代表作で、黄金期英国本格・カントリーハウス・ホリデーミステリ・密室殺人という、本格ファンの好物がぎっしり詰まった豪華パッケージです。
本作の成り立ちには有名なエピソードがあります。クリスティーの義兄ジェイムズから「あなたの作品は最近、上品すぎる。もっと血の気の多い、どぎつい殺人を書いてほしい」と注文があり、それに応えて書かれたのが本作だと言われています。実際、巻頭にはマクベスからの引用が掲げられ、作中で繰り返し参照されることになります——「あの老人があれほどの血を持っていたとは、誰が思ったことだろう」。クリスティーが密室と流血で本気を出した、その意味で特別な位置にある一冊です。
舞台はヨークシャーの古い館ゴーストン・ホール。暴君的な老富豪サイメオン・リーが、長年疎遠だった息子たちとその妻、そして遠方からの孫娘までを呼び集め、一族でクリスマスを過ごそうと言い出すところから物語は動き始めます。ところが当主の真の目的は、家族を一堂に集めて互いに反目させ、遺言書の書き換えを匂わせて全員を引っかき回すこと。聖夜の食卓には、最初から不穏な空気が満ちています。
そしてクリスマス・イヴの夜、二階の老当主の部屋から家具がひっくり返る轟音と、凍りつくような悲鳴が響き渡ります。家族が駆けつけるとドアは内側から施錠され、こじ開けて飛び込んだ部屋には、喉を切り裂かれて血の海に倒れたサイメオン・リーの姿が。窓も施錠されていて、犯人がどこから出入りしたのか皆目わからない——黄金期本格ファンが大好きな、あの「閉じた部屋」の謎が立ち上がる場面です。
本作は密室の謎(ハウダニット)を中心に据えながら、同時に「誰が、なぜ」という古典的なフーダニット・ホワイダニットも丁寧に編み込まれています。集まった一族それぞれの動機、近隣に宿泊中だったポアロが捜査に協力するサグデン警視との関係、屋敷の使用人たち。容疑者全員に動機があり、それぞれが嘘をつき、全員に怪しい影が差す。ポアロが「灰色の脳細胞」を最大限に働かせるべき条件が、これでもかと整えられています。
舞台立ても本作の大きな魅力です。雪に閉ざされた英国カントリーハウス、暖炉と一族の食卓、長年の確執と表面上の取り繕い、聖夜に響く悲鳴。クリスマスを舞台にしたミステリは数多くありますが、本作は単なる季節のお飾りではなく、「クリスマスに一族が集結する」という習慣そのものを動機装置として作品の骨格に組み込んでいます。だからこそ12月になると本格ファンが手を伸ばす定番として、長く読み継がれてきました。
邦訳は早川書房クリスティー文庫から長らく村上啓夫訳で親しまれてきましたが、2023年には川副智子による新訳版も刊行され、現在は新旧どちらの訳でも入手しやすい状況です。読みやすさを優先するなら新訳版から、古典の手触りを楽しみたいなら旧訳版から、お好みでどうぞ。
クリスティー作品はどこから読んでも構いませんが、本作は特に「クリスティーで密室を読んでみたい」「黄金期英国本格のクリスマスものを一冊」という気分にぴったりです。寒い夜、暖かい部屋で、紅茶でもココアでも片手に、ヨークシャーの古い館へ。聖夜の流血と、ポアロの推理の冴えを、ぜひゆっくり味わってください。