本格ミステリとしての読みどころ
『犬神家の一族』は、横溝正史の数多い作品の中でもっとも世間に名前が知られた一冊と言ってよいでしょう。1976年に公開された市川崑監督・石坂浩二主演の劇場版が大きな話題を呼び、原作と映画が相互に読者・観客を引き寄せ合いながら、戦後最大級の横溝正史ブームを作り出しました。
著者・横溝正史は、戦前から探偵小説の書き手として活動し、戦後に金田一耕助シリーズで国民的な人気作家となった作家です。本作は雑誌『キング』に1950年1月号から1951年5月号まで連載された長編で、戦後シリーズの中期に書かれました。すでに『獄門島』『八つ墓村』を経た時期にあたり、金田一耕助という探偵像が完成形に達していた頃の作品です。
物語の舞台は信州の那須湖畔。一代で財をなした犬神財閥の当主・犬神佐兵衛が、複雑な条件をしたためた遺言状を残してこの世を去ったところから事件は動き始めます。遺言の中身が公開されると、犬神家の一族——孫たち、佐兵衛と縁の深かった人々——のあいだに張り詰めた緊張が走り、金田一耕助が呼ばれることになります。
本作の物語が独特の引力を持っているのは、犬神家という一族の系譜そのものが謎の中心に据えられているからです。誰が誰の血を引いているのか、戦地から本当に帰ってきたのは誰なのか、過去のどの選択がいまの配置を作ったのか——一族の歴史を遡る作業が、そのまま事件を読み解く作業と重なっていきます。戦後の混乱がもたらした家族の離散と再会、それに伴う身元の不確かさが、純粋な遺産争いを越えた重みを物語に与えています。
横溝の代表作の中で、『獄門島』が孤島と俳句の見立てを軸に組み立てられているのに対し、『犬神家の一族』は一族の血縁と動機の解読を主軸に置いた作品です。同じ金田一ものでも、両者は対照的な構造を持っており、読み比べてみると横溝が引き出しの多い書き手であることがよく分かります。
市川崑監督はこの作品を1976年に映画化したのち、2006年に同じ石坂浩二主演で自らリメイクしており、二度の映像化がいずれも記憶される存在になっています。映像で覚えているシーンを思い浮かべながら原作を開くと、活字でしか味わえない設計の繊細さに改めて気づかされるはずです。角川文庫で入手しやすく、横溝正史を初めて読む人にも、映画を観てから原作に向かいたい人にも勧めやすい一冊です。