本格ミステリとしての読みどころ
夏合宿のキャンプ場で、突如として近くの山が噴火を始める——降り積もる火山灰、寸断された下山路、外部との通信が断たれた山中。閉ざされた山に置き去りにされた学生たちのあいだで、事件が静かに動き出します。1989年、有栖川有栖がデビュー作として世に出した『月光ゲーム Yの悲劇'88』は、副題「Yの悲劇'88」が示す通り、エラリー・クイーンへの全面的なオマージュとして組み立てられた論理派本格です。京都・英都大学の推理小説研究会を中心に展開する「学生アリス(江神二郎)シリーズ」の第1作にあたります。
著者の有栖川有栖(1959〜)は大阪生まれ、同志社大学法学部卒。大学では推理小説研究会に所属し、機関誌に創作を発表していたといいます。本作はもともと江戸川乱歩賞に投じられた原稿で、東京創元社の戸川安宣編集長の目にとまり、大幅な改稿を経て、新人発掘企画「鮎川哲也と十三の謎」第4回配本として刊行されました。同企画は新本格世代の苗床となった枠組みで、有栖川はそこから出発して1992年の『双頭の悪魔』へと学生アリスシリーズを継いでいくことになります。刊行年は綾辻行人『十角館の殺人』(1987年)に端を発した新本格ムーブメントが勢いを得つつあった時期で、有栖川は法月綸太郎・我孫子武丸らと同じ世代の旗手の一人として登場しました。
舞台は矢吹山のキャンプ場。英都大学推理小説研究会の部長・江神二郎、望月周平、織田光次郎、そして語り手のアリスは、夏休みの合宿で雄林大学・神南学院短期大学のグループと合流します。三日目の朝、近くの山が噴火を始め、土砂崩れと火山灰でキャンプ場は外部から遮断される。閉ざされた山という条件が整ったその瞬間から、物語は本格ミステリとしての時計を刻み始めます。
本作の核は、クイーン的な論理派への忠誠です。江神部長は「与えられた事実から犯人を導く」古典的な探偵像を体現する人物で、月光に照らされた山中という詩的な舞台のもと、手がかりを丁寧に積み重ねていきます。学生アリスシリーズの長編には毎回「読者への挑戦」がクイーンの国名シリーズに倣って差し挟まれており、本作もその流儀に忠実です。日本の論理派本格を語る際に、江神という探偵像が新本格世代の参照点であり続けてきた理由が、出発点であるこの一冊にすでに表れています。
火山噴火という自然災害をクローズドサークルの装置に転用する発想は大胆で、自然の脅威、夜の山岳の暗さ、追い詰められる若者たちの焦りが推理の行間に独特の緊張感を生んでいます。読み心地としては、骨太な論理パズルと青春小説の手触りがほどよく溶け合っているのが特徴で、新本格の入門としても、クイーン的論理派の現代的継承を辿る一冊としても、最初の一歩にふさわしい古典です。
入手は東京創元社・創元推理文庫が現行版。続編『孤島パズル』、そして三部作の頂点として高い評価を受ける『双頭の悪魔』(1992年)まで読み継ぐことで、学生アリスシリーズ全体の弧がはっきりと見えてきます。