本格ミステリとしての読みどころ
エラリー・クイーンが「エラリー・スミス」と名乗る——代名詞のような自分の名前を変えて田舎町に潜伏する設定が、1942年刊のこの作品でクイーンが作風の大転換を宣言していることを象徴しています。
エラリーはニューイングランドの小都市ライツヴィルへ、仮名で引っ越してきます。物書きとして静かに暮らすつもりだったところに、借りた家の隣人——ライト家の次女ノーラとその婚約者ジム・ハイトをめぐる奇妙な事情が持ち込まれてくる。3年前に突然失踪し、今また姿を現したジム・ハイト。彼が残した謎めいた手紙と、ライト家の人々の複雑な感情が絡み合いながら、やがて毒殺事件が起きます。
1940年代以前のクイーンを読んだことがある読者には、本作の空気感の変化が鮮明に感じられるはずです。国名シリーズ(ローマ帽子の謎・ギリシャ棺の謎など)は、証拠の提示と論理的推理という骨格を前面に出した、パズルとしての純粋度が高い本格ミステリでした。本作はそこから一歩踏み出し、ライツヴィルという架空の小都市の空気感、住民たちの関係性、「町ぐるみの疑惑」が醸成される様子を、じっくりと描写することに紙幅を使っています。探偵の知的ゲームより、人が人を疑い合う緊張感が物語の中心にあります。
これはクリスティの中後期作品、特にセント・メアリ・ミードを舞台にしたシリーズとの類似を感じさせる転換でもあります。コミュニティと謎の関係、外から来た観察者(エラリー=スミス)の視点から「この町に何かがおかしい」が積み上がっていく構成は、本作がなぜ「クイーンの中で最もクリスティに近い作品」と言われてきたかを物語っています。
ただし論理的な骨格は健在です。毒殺事件の証拠は誠実に提示され、推理の手順はクイーンらしい厳密さを保っている。人間ドラマの重みが増しているからといって、謎解きの質が後退しているわけではありません。本作は人間ドラマと論理的推理の両方を高いバランスで両立させた、中期クイーンの到達点と言える一冊です。
ライツヴィルはこの後もクイーンの舞台として繰り返し登場する架空の町で、本作はその第1作にあたります。ハヤカワ・ミステリ文庫(越前敏弥訳、2014年新訳版)。