本格ミステリとしての読みどころ
古典本格ミステリの愛読者がそのまま登場人物として歩いているような、そういう一冊です。ボストンの古典ミステリ専門書店オールド・デヴィルズの店主マルコム・カーショウが、かつて書店のブログに「ミステリ史上最も完璧な8つの殺人」というリストを掲げたことがあった——物語はその過去のリストが思いがけない形で呼び戻されるところから動き出します。
著者のピーター・スワンソンは1968年マサチューセッツ州生まれの米国作家で、2014年の長編 *The Girl with a Clock for a Heart*(邦題『時計仕掛けの恋人』)でデビュー、続く2015年の *The Kind Worth Killing*(邦題『そしてミランダを殺す』)で英国推理作家協会(CWA)賞最終候補に挙がるなど、古典本格への目配りが利いたサスペンスの書き手として日本でも紹介が進んできた作家です。本作は2020年に米国 William Morrow / 英国 Faber & Faber から刊行された長編で、邦訳は務台夏子訳で東京創元社・創元推理文庫から2023年8月に刊行されました。「このミステリーがすごい!」海外編にもランクインし、書評メディアでも著者の代表作として取り上げられています。
物語の入り口です。雪の降る日、書店の奥で在庫整理をしているマルコムのもとに、FBI捜査官グウェン・マルヴィが訪ねてきます。彼女が手にしているのは、十数年前にマルコムが書店のブログに掲げた古いリストのプリントアウト——アガサ・クリスティ『A.B.C.殺人事件』、パトリシア・ハイスミス『見知らぬ乗客』、A・A・ミルン『赤い館の秘密』、アイラ・レヴィン *Deathtrap*、フランシス・アイルズ(アンソニー・バークリーの別名義)『殺意』、ジェームズ・M・ケイン『倍額保険』、ジョン・D・マクドナルド *The Drowner*、ドナ・タート『シークレット・ヒストリー』。古典本格と犯罪小説の歴史を背骨でつかむ8作品が並んだそのリストに沿うかたちで、現実に未解決の事件がいくつか起きているらしい——そう告げられたマルコムは、書店主から事件の協力者へと立場を変えていくことになります。
本作の魅力は、読者が「ミステリを読んできた経験」をそのまま使う読書体験にあります。語り手マルコムが古典の愛読者で、ボストンの書店主ならではの愛着を込めて先行作品を語ってくれるため、リストに挙がった8作を読んでいるほど物語の手触りが豊かになります。クリスティから現代までを通読してきた読者にとっては、自分の本棚の背表紙が一冊ずつ呼び出されるような、特別な熱が立ち上がる作りになっています。リスト中の作品にネタバレが含まれることもあるので、未読のものがあれば先に押さえておくとさらに楽しめる、というのが本作の数少ない注意点です。
スワンソン自身、第1層で『そしてミランダを殺す』(0115)が採られているように、視点と語りの設計に強いこだわりを持つ作家です。本作はその関心を「ミステリの古典そのもの」に向け直した一冊で、書店という舞台、書店員の語り、書店員のリスト、という三重の枠が物語を支えています。古典本格を愛してきた読者ほど、ページをめくる手応えがしっかり残るタイプの本です。
邦訳は創元推理文庫(2023年、務台夏子訳)で容易に入手できます。同じスワンソンの『そしてミランダを殺す』(0115)、『9人はなぜ殺される』(0124)と合わせて、古典への敬意を芯に据えた現代英米ミステリを束で味わいたい時にどうぞ。