本格ミステリとしての読みどころ
英国の引退者向け高級住宅クーパーズ・チェイスに暮らす70代の素人探偵団——元諜報員エリザベス、元看護師ジョイス、元労組リーダー・ロン、元精神科医イブラヒム——が、毎週木曜日に集まって未解決事件を解いていく「木曜殺人クラブ」シリーズ。その第4作にあたる本作は、これまでで最も「老い」と「喪失」に深く踏み込んだ一冊として、シリーズの読者から特別な巻として語られています。
著者リチャード・オスマンは、英国でクイズ番組「Pointless」の司会者として長く活躍してきたテレビパーソナリティで、2020年に第1作『木曜殺人クラブ』でいきなりベストセラー作家としてデビューしました。シリーズはその後も毎年1冊ずつ刊行され、2025年9月には第5作『The Impossible Fortune』が英語圏で刊行されたばかり。第1作が累計数百万部のメガヒットとなったあとも、シリーズは流行に流されず、登場人物たちと一緒に静かに歳を重ねていく独特のペースで書き続けられています。
物語は12月27日、骨董商クルデシュ・シャルマがある「箱」をめぐる相談相手と会うために店を出たあと、頭を撃たれた状態で発見されるところから動き始めます。クルデシュはエリザベスの夫スティーヴンの古い友人であり、つまり今回の事件は木曜殺人クラブにとって他人事ではありません。捜査を進めるうちに、行方不明になったヘロイン密輸荷物、美術品の贋作、ネット越しの詐欺、といった現代英国のうす暗い犯罪世界が骨董商の死の背後に折り重なって見えてきます。
本作のもうひとつの軸は、エリザベスの夫スティーヴンの認知症をめぐる物語です。シリーズを通して穏やかに描かれてきたスティーヴンの存在感は本作でひときわ大きくなり、エリザベスは捜査と並行して、夫との時間にどう向き合うかという個人的な主題に引きずり込まれていきます。オスマンはこのテーマを過剰にドラマ化することなく、しかし逃げずに書いています。「親しい人の記憶」という現代の家族が誰もが直面しうる主題と、本格ミステリの「事実を再構成する」という営みが、ひとつの物語のなかで静かに重なり合う構造になっています。
シリーズ全4作を通して読んできた読者にとって、本作はとりわけ感情に残る一冊になるはずです。第1作の軽妙さ・第2作の社会批評・第3作のスケールアップを経て、4作目で物語は登場人物たちの内面に深く沈潜していきます。とはいえ謎解きの骨格は健在で、伏線の張り方や複数プロットの収束はシリーズ随一の緻密さ。コージーミステリの読みやすさを保ったまま、人間ドラマとしての深度を一段引き上げた作品です。
邦訳はハヤカワ・ミステリ文庫から2025年に刊行されました。シリーズ未読の方は『木曜殺人クラブ』『2度死んだ男』『木曜殺人クラブ 一発逆転』から順に読むことをおすすめします。シリーズを追ってきた読者には、登場人物たちと長く付き合ってきたからこそ届く種類の余韻があります。