本格ミステリとしての読みどころ
日本の現代本格を語る上で外せない一冊。東野圭吾『悪意』です。1996年9月に双葉社から単行本が刊行され、2000年1月に講談社ノベルス、2001年1月に講談社文庫として刊行されました。加賀恭一郎シリーズの第4作にあたる長編で、「動機の謎を掘り下げる」タイプの本格、いわゆるホワイダニットの代表作として広く言及される作品です。
著者は東野圭吾(1958年生)。1985年『放課後』で第31回江戸川乱歩賞を受賞してデビューし、その後コンスタントに本格ミステリの長編・短編を発表してきた書き手です。本書が発表された1996年の時点では、後の「直木賞作家」「国民的ベストセラー作家」という肩書きが付く前で、本格ミステリの腕で勝負していた時期にあたります。
加賀恭一郎というキャラクターは、東野圭吾が長く書き続けてきた名探偵のひとり。シリーズはデビュー早期の長編から続いており、本書はその第4作という位置づけです。後の『赤い指』『新参者』『麒麟の翼』などで知名度を一段と広げることになるシリーズの、円熟期の入口にある一冊と言えます。
物語の発端は、人気作家・日高邦彦が自宅で殺害される事件。捜査にあたる加賀恭一郎刑事の前に、第一発見者として日高の親友である小説家・野々口修が現れる——という、わかりやすく強力な出だしです。物語は野々口修が綴った「事件についての手記」と、加賀刑事の捜査記録が交互に並ぶ構成を取り、読者はその二つのテキストを読み比べながら事件を追っていくことになります。
ここから先が本書の本領で、容疑者が誰なのかという問題よりも「なぜそうしたのか」という問いが物語の重心を担っていきます。動機というのは普通、本格ミステリでは終盤で明かされる「副次的なピース」のように扱われがちですが、本書ではそれが物語の中心テーマとして据えられている。タイトルの『悪意』は、その問いの行き先を端的に示した言葉でもあります。
加賀恭一郎の捜査スタイルもこの作品で印象的に立ち上がります。表に出ている事実をそのまま受け取らず、その裏側に何があったのかを地道に探っていく——後年のシリーズ作品で読者に親しまれる加賀像の核となる部分が、本書ですでに濃く出ています。野々口の手記と加賀の記録という「信頼性の異なる二つのテキスト」を並べる構成は、叙述そのものが本格ミステリの読みどころに組み込まれた現代日本本格の好例と言えます。
入手は容易で、講談社文庫(2001)、Kindle 版でも読めます。加賀恭一郎シリーズの中でも特に評価の高い一冊なので、シリーズを順に追ってみたい方の入口にも、ホワイダニット型の本格を一冊だけ試してみたい方の入口にもなる作品です。「動機の物語」としての本格ミステリに興味がある方は、ぜひ。