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REVIEW · 書評
N° 008 · 2026-05-05
オリエント急行の殺人 表紙画像
黄金期英国古典 ★ イチオシ

オリエント急行の殺人

アガサ・クリスティー / 早川書房(クリスティー文庫)
" 雪原で立ち往生する国際急行の一夜。クリスティ自身がお気に入り10作に挙げた代表作。
#週末をまるごと溶かす#とにかく騙されたい#黄金期の薫り#名探偵に身を任せる
📝 管理人イチオシ書評 管理人実読・本サイト基準でイチオシ判定 ✓ 結末・犯人・トリックの種類には触れていません
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本格ミステリとしての読みどころ

本格ミステリの愛読者であれば、たとえ未読でも題名と「列車」「ポアロ」というキーワードまでは耳にしたことがあるはずの一冊です。雪原で立ち往生した国際寝台急行、その車中で起きる一晩の事件と、たまたま乗り合わせた名探偵エルキュール・ポアロの捜査——『オリエント急行の殺人』は、世界中で読み継がれてきたクリスティの代表作の一つです。

著者アガサ・クリスティーは1890年に英国デヴォン州トーキーで生まれ、1920年の長編『スタイルズ荘の怪事件』でデビュー。本作の刊行時には『アクロイド殺し』(1926)などの長編で本格ミステリ史にすでに名を残していました。本作は彼女の長編第14作、ポアロシリーズとしては第8作にあたります。クリスティ自身も後に「お気に入りの10作」の一つに本作を挙げています。

刊行は1934年1月1日、英国 Collins Crime Club より。米国では同年2月に Dodd, Mead 社から、当時は『Murder in the Calais Coach』のタイトルで刊行されました。日本では1935年に『十二の刺傷』(柳香書院刊・延原謙訳)の題で初めて訳出されており、現在は早川書房クリスティー文庫の山本やよい訳で読むことができます。映画化(1974年シドニー・ルメット版、2017年ケネス・ブラナー版ほか)・TVドラマ化を何度も繰り返している、文字通りの古典です。

物語の入り口はシンプルです。シリアの仕事を終えてイスタンブールからの帰途についたポアロは、知人で国際寝台車会社の重役ブクの計らいで満員の急行・シンプロン=オリエント急行に乗り込みます。乗客は国籍も身分もまちまち。やがて列車はユーゴスラビア領内の雪原で立ち往生し、その晩のうちに、車中の乗客のひとりであるアメリカ人実業家ラチェットが死体で発見される——というのが、本書の出発点です。

執筆背景として、クリスティが本作の舞台に強い実体験を持っていたことはよく知られています。彼女は1930年に考古学者マックス・マローワンと再婚し、夫の中東での発掘調査に何度も同行していました。その往復で繰り返し利用したのが、ロンドンと中東を結ぶこの寝台急行です。寝台車の構造、国境通過の手続き、車掌の動き、雪に閉ざされたときの車内の空気——舞台描写の説得力は、その現場経験の積み重ねから来ています。

読みどころとしては、まず登場人物の多様さと、それぞれが背負う背景の彫りの深さが挙げられます。ポアロは乗客一人ひとりに丁寧に話を聞き、寝台車という小さな箱の中で証言を重ねていく。本書がどんなジャンル的な達成をなしているかは、実際にページを最後までたどってご自身で確認するのが一番です——本作は安易な前情報を入れずに読んだほうが格段に楽しめる作品です。

入手は早川書房クリスティー文庫の山本やよい新訳が現行流通しており、紙書籍・電子書籍ともに容易に手に入ります。映画版から本作に入った方にも、原作には映像化では拾いきれない車内の空気や人物の身振りが詰まっていて、改めて読む価値があります。クリスティの代表作のひとつをきちんと押さえたい方、黄金期英国本格の名作を一冊読みたい方に、迷いなくおすすめできる王道の一作です。

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書誌情報

出版社
早川書房 / クリスティー文庫
邦訳刊行年
1960
ISBN-13
9784152088826
系譜
黄金期英国古典