本格ミステリとしての読みどころ
休暇中のポアロが、何気ない会話のなかで「殺されかけているかもしれない」若い女性に出会う——そんな導入で始まるのが本書『邪悪の家』です。ポアロ長編の中でも舞台立てが鮮やかな一作で、クリスティ研究家ジョン・カラン(『The Murder of Roger Ackroyd』の研究で知られる)が「クリスティの長編ベスト10」のひとつに挙げている作品としても知られます。
著者は1890年生まれの英国作家アガサ・クリスティー。本書は1932年2月に米国 Dodd, Mead 社から、同年3月に英国 Collins Crime Club から刊行されました。原題は『Peril at End House』、ポアロ長編としては『アクロイド殺し』(1926)『ビッグ4』(1927)『青列車の秘密』(1928)などを経たのちの作品にあたります。
物語の舞台はコーンウォール沿岸の保養地セント・ルー。休暇でホテルに滞在中のポアロと、語り手アーサー・ヘイスティングスのふたりが、テラスで若い女性マグダラ(愛称ニック)・バックリーと知り合います。彼女は崖の上に建つ古い屋敷「エンド・ハウス」の女主人で、近頃自分の身の周りで「ちょっとした事故」が立て続けに起きている、と何気ない口ぶりで打ち明けます——これだけは偶然では済まない、と感じ取ったポアロは彼女の身辺に注意を向けはじめる、というのが導入部です。
読みどころのひとつは、ポアロとヘイスティングスの軽妙な掛け合いがしっかり戻ってきている点です。前作『青列車の秘密』ではヘイスティングスが登場しなかったのに対して、本作では二人のお馴染みのコンビに、ロンドン警視庁のジャップ警部も加わります。シリーズの定番チームによる円熟したポアロ長編、という意味で安心して手に取れる一冊です。
舞台のコーンウォール、海辺のホテルでのお茶、屋敷のディナー、地元の医者や近所の人々との会話——黄金期英国本格の社交描写を堪能できる構成で、屋敷の中の人間関係から物語の手がかりを拾っていく作法は典型的なクリスティです。本作がどんな決着を迎えるかは、読み手のために伏せます。
入手は早川書房クリスティー文庫の真崎義博訳が現行流通しており、紙書籍・電子書籍ともに手に入ります(過去には田村隆一訳の旧版も流通していました)。ポアロの代表作群を読み終えてシリーズを順に追いかけたい方、海辺の屋敷とコーンウォールの空気感が好きな方、ジャップ警部が出てくるポアロ長編を探している方におすすめできる、中期ポアロの一冊です。