ミステリーとしての読みどころ
戦争が終わり、人々が日常へ戻ろうとする1946年のイギリス。クリスティーが戦後英国の空気をこれほど濃密に書き込んだ長編は、ポアロものの中でも本作が随一です。1948年、米国版タイトル『There Is a Tide...』、英国版『Taken at the Flood』として刊行された一冊。題名はシェイクスピア『ジュリアス・シーザー』のブルータスの台詞「人の世には潮どきがある」から取られており、この引用句が物語全体の通奏低音となります。
舞台はウォームズリー・ヴェイル。一族を経済的に支えていた大富豪ゴードン・クロードがロンドン空襲で急死し、財産はすべて、彼が船上で出会い再婚したばかりの若い未亡人ロザリーンの手に渡ってしまう。庇護を失ったクロード一族の人々が、どこか宙吊りのまま再起の糸口を探している——その淀んだ村の空気のなかへ、村の宿〈スタッグ〉にイーノック・アーデンと名乗る一人の男が現れる。ロザリーンの最初の夫ロバート・アンダーヘイの行方を知っていると仄めかし、ロザリーンの兄デイヴィッド・ハンターを脅迫する男。そして数日後、男は宿の部屋で撲殺死体となって発見されます。
本作の妙味は、まずクリスティーの「名前」のトリックメイキングが冴えていること。失踪した夫の名を語る者が現れる、という古典的英詩テニスン「Enoch Arden」を踏まえた発端からして既にミスディレクションの装置として機能しており、誰が誰であるか、その同定をめぐる地味な手続きが、終盤で鮮烈な像を結びます。派手な物理トリックや密室ではなく、人物の「立ち位置」そのものを揺さぶってくる構図の妙。物理密室を好まない読み手にこそ強くお薦めしたい一冊です。
もうひとつは、戦後イギリスを描く筆致の良さ。配給制度、空襲の影、復員兵、相続をめぐる神経戦——そうした生活感の細部が、クロード一族それぞれの動機を立体化していきます。ポアロが事件に関わる契機もまた、戦後ロンドンのクラブの一場面という地に足のついた導入で、探偵小説としての品格を保っています。恩地三保子による早川クリスティー文庫版の訳文も読みやすく、初読の方にも安心して薦められます。
中期クリスティーの代表作と並べて語られる機会がやや少ない作品ですが、人物配置と動機の絡め方、そしてラストに用意された一手の鮮やかさは、本格ミステリの愛好家を確実に唸らせます。「クリスティーはひと通り読んだ」と思っている方にこそ、潮の満ちる頃合いを待って手にとってほしい。タイトルどおり、読み終えた後に静かな余韻が引いていく一冊です。