本格ミステリとしての読みどころ
「誰がコック・ロビンを殺したのか?」というマザーグースの童謡が、現実の殺人予告として現場に残されている——S・S・ヴァン・ダインのファイロ・ヴァンス物第4作(1929年)は、童謡見立て殺人というモチーフの最初期の原型として、本格ミステリ史にはっきり刻まれた古典の一冊です。
著者のS・S・ヴァン・ダインは、本名をウィラード・ハンティントン・ライト(Willard Huntington Wright, 1888-1939)といいます。1910年代から『ロサンゼルス・タイムズ』の文芸編集者や雑誌編集者として活動した美術評論家・文芸批評家で、ニーチェ論やモダニズム絵画論などの著書を持つ知識人でした。健康を崩して長期療養を強いられた時期に大量の探偵小説を読み漁り、その読書ノートを足場としてヴァンス物の執筆を開始したという経歴の持ち主です。批評家としての教養を惜しみなく注いだ衒学的なヴァンスの語り口は、著者の前歴と切り離して語ることができません。1926年のデビュー作『ベンスン殺人事件』、1927年『カナリヤ殺人事件』、1928年『グリーン家殺人事件』に続く長編本作で、ヴァン・ダインは黄金期米国本格作家として確固たる地位を築きました。
舞台はニューヨーク。マンハッタンの一画で、矢で胸を貫かれた青年ジョゼフ・コックレーン・ロビンの遺体が発見されます。現場には「ビショップ」と署名された手紙が残されており、添えられていたのは「Who Killed Cock Robin?」というマザーグースの一節。地区検事マーカムは、この常軌を逸した事件の解明のため、友人で素人探偵のファイロ・ヴァンスに協力を求めます。事件の周辺には弓術・チェス・物理学が複雑に絡み合い、童謡の文句と現実の出来事が奇妙な形で照応していきます。
「見立て殺人」は、犯人が文学的・文化的モチーフに沿って事件を演出するスタイルです。本作は、現存するマザーグース見立て長編の中でも最初期の例としてしばしば引用されます。クリスティの『そして誰もいなくなった』(1939年)が童謡と殺人を結びつける長編として世界的に有名ですが、童謡見立てを犯行予告に組み込むパターンを早い段階で長編化してみせたのは本作のほうです。日本でも、横溝正史の『悪魔の手毬唄』『獄門島』など見立てを根幹に据えた金田一耕助物の名作群は、本作が切り拓いた地平の延長線上にあると言ってよいでしょう。
ヴァン・ダインといえば「探偵小説20則」(1928年)でも知られますが、その規範意識を体現した長編が本作です。ヴァンスの長広舌や貴族的な物腰を古めかしく感じる読者もいるかもしれません。それでも童謡見立て・物理学者一族・弓矢という骨格自体の美しさは色褪せていません。1930年にはバジル・ラスボーン主演で映画化もされています。
入手は創元推理文庫の井上勇訳が定番で、初版は1959年。半世紀以上版を重ねるロングセラーで、本格ミステリの古典棚に必ず並ぶ一冊です。見立て殺人という言葉に少しでも惹かれるなら、まず本作から手に取ってみてください。