本格ミステリとしての読みどころ
「探偵が早すぎる」——タイトルそのままに、本作の名探偵は「事件が起きる前に犯行を見抜き、阻止してしまう」という、本格ミステリ史でも屈指の異色キャラクターです。井上真偽の代表作の一つ、現代国内本格の冴えを存分に味わえる長編です。
著者の井上真偽は、近年の日本本格を牽引する作家のひとり。第51回メフィスト賞受賞作『恋と禁忌の述語論理』(2015)でデビューし、『その可能性はすでに考えた』(2015)、『聖女の毒杯』(2017)など、論理推理の限界を試すような実験的な本格を次々に発表してきました。本書『探偵が早すぎる』は講談社タイガから 2017 年 5 月に上巻、同年 7 月に下巻が刊行された長編で、ライトノベル寄りのレーベルから出ながら本格ミステリの構造を徹底して詰めた一冊として、刊行直後から評価を集めました。
物語の主人公は女子大生の十川一華(そがわ・いちか)。亡き父からなんと5兆円という途方もない遺産を相続することになり、それを阻もうとする一族「大東羅(だいだら)」の親族たちから命を狙われる立場に置かれてしまう——という設定です。彼女の母親代わりとして付き添う家政婦の橋田政子が、一華を守るために雇い入れた変人探偵が、本作のもう一人の主役、千曲川光(ちくまがわ・ひかる)です。
光のスタイルは「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに、トリック返し」というキャッチフレーズに集約されます。事件が起きてから後追いで推理するのではなく、徴候から相手のトリックの全貌を見抜き、それをそのまま「お返し」する形で犯行を未然に潰してしまう——という、本格ミステリの作法を予防の側に振り切ったキャラクターです。「事件は起こさせない、解いてしまうから」という探偵像が、本書全体の骨格を支えています。
物語は、父の四十九日法要をめぐる一日に複数の暗殺計画が仕掛けられる、という形で展開していきます。寺での読経、墓地での埋葬、ホテルでの会食——それぞれの場面に異なる発想のトリックが用意され、光がその設計図を読み取って先回りで潰していく、という章立ての面白さがあります。各章のトリックは独立したパズルとして読み応えがあり、しかも「先に阻止する」というルールの中でフェアプレイをどう確保するか、という井上真偽らしい工夫が随所に効いています。
千曲川光のキャラクター造形は独特で、超人的な能力を発揮しながらどこか飄々としていて、一華や橋田との掛け合いに軽妙なコメディの温度感を生んでいます。シリアスに極めた本格ミステリの構造の上に、人物造形の遊びを乗せる——という現代国内本格らしいバランス感覚が、本書の読後感の良さに繋がっています。
入手は講談社タイガ(上巻 ISBN 9784062940719、下巻 ISBN 9784062940818)で容易にでき、Kindle 版も流通しています。本書から井上真偽に入ったら、デビュー作『恋と禁忌の述語論理』、上田次郎が主人公の論理推理本格『その可能性はすでに考えた』、その続編『聖女の毒杯』へと進むのも楽しい読み筋です。
特殊設定本格が好きな方、論理推理を極めたい方、現代日本本格らしい軽妙さと硬派さの両立を味わいたい方——どこから来てもしっかり応えてくれる、現代国内本格の代表作の一つです。日本テレビ系列で2018年に放送された連続ドラマ版(滝藤賢一・広瀬アリス主演)から原作に入る、という入り口もあります。