本格ミステリとしての読みどころ
アガサ・クリスティが1976年に世を去ってから、クリスティ家族と遺産管理会社(Agatha Christie Ltd)は長らく新しいポアロ長編を書かせることを認めてきませんでした。その方針が初めて覆されたのが2014年で、公式に委嘱を受けて書かれた最初のポアロ続編が本書『モノグラム殺人事件』です。実に39年ぶりに刊行された新作ポアロ長編として、英国・米国を中心に世界的な話題になりました。
著者のソフィー・ハナは、現代英国を代表する犯罪小説家のひとりです。詩人としてのキャリアもあり、警察小説シリーズで多くの読者を持つ作家として、ポアロを書く最初の作家にクリスティ家族が指名した人物です。本作の後も『棺の中のクローゼット』『三幕の殺人事件』に続く新作ポアロを書き続けており、ハナによる公認ポアロは現時点で4作以上が刊行されているシリーズに育っています。
物語の舞台は1929年のロンドンで、これは原典でいえば『青列車の秘密』(1928年)の翌年、『邪悪の家』(1932年)の少し前という設定です。クリスティ自身が書いた1920年代後半のポアロにそっと差し込まれる位置取りで、原典の連続性を尊重した時代背景が選ばれています。ある夜、ポアロが行きつけのコーヒーハウスで奇妙な様子の若い女性ジェニーと出会い、同じ夜にロンドンのブロクサム・ホテルで起きた不可解な事件と、彼女の存在が静かに繋がっていく——というのが冒頭の入り口です。
新たな語り手として登場するのが、スコットランドヤードのエドワード・キャッチプール警部です。原典でポアロの相棒を務めたヘイスティングス大尉とは性格が大きく異なり、内向的で神経質、自分の不安を抱えながらポアロに振り回される人物として造形されており、ハナが本シリーズのために独自に作り上げたキャラクターです。原典のヘイスティングスを期待するか、新しい伴走者として読むかで印象が変わる、という意味でも公認続編らしい工夫が凝らされた配役です。
公認続編という枠組みで読むときに気になるのは、やはり「クリスティのポアロらしさ」がどこまで再現されているかです。ハナは灰色の脳細胞、机上の推論、自尊心と滑稽味の同居といったポアロ像のディテールを丁寧になぞりつつ、現代の犯罪小説家としての構成感覚で物語を組み立てています。ホロヴィッツによる公認ホームズ続編『絹の家』『モリアーティ』と並べて、「他の作家が引き継いだ名探偵の続編をどこまで楽しめるか」を試す系譜の作品としても読み応えがあります。
クリスティ全作読破層、現代英国の本格を追っている読者、そして「ポアロの新作がもう一冊増えるなら読みたい」と思える人に向けた一冊です。早川書房クリスティー文庫で入手できます。