ミステリーとしての読みどころ
英国黄金期本格の幕開けを告げる一冊として、また『クマのプーさん』の作者A・A・ミルンが残した唯一の長編推理として、二重の意味で記念碑的な作品です。1922年刊行、舞台は典型的な英国カントリーハウス、登場人物は未亡人とその娘・退役少佐・気まぐれな女優・若い紳士という絵に描いたようなハウスパーティの面々。そこに長く消息を絶っていた兄ロバートが闖入し、銃声とともに事件は幕を開けます。
探偵役アントニー・ギリンガムは、友人ビルを訪ねて偶然この館にやってきた部外者です。ミルンはギリンガムに明確にホームズの役を、ビルにワトスンの役を割り振り、二人が推理を交わしながら少しずつ真相に近づいていく構図を採用しています。事件そのものの陰惨さよりも、推理の遊戯性、知的会話の心地よさ、紳士的な探偵コンビのコンビネーションが前面に出ており、読み心地は終始軽やかです。
本作の評価史は二極化していることでも有名です。ヴァン・ダインは推理小説の理想形として称揚し、アレグザンダー・ウールコットは「史上最高のミステリ三作の一つ」と絶賛、江戸川乱歩は黄金期ベスト10の第8位に挙げました。一方でレイモンド・チャンドラーは評論「簡単な殺人法」のなかで、警察捜査の非現実性や登場人物が事件を一種の知的ゲームとして扱う姿勢を槍玉に挙げ、英国本格派批判の象徴的な標的として本作を取り上げています。チャンドラー以降のハードボイルド対本格論争を理解するうえで、まずは批判される側の典型として一度通読しておく価値がある作品です。
謎解きの骨格はオーソドックスな後期ヴィクトリア朝〜エドワード朝風の本格で、現代の読者から見れば仕掛けの輪郭は早めに見えてくるかもしれません。しかし主眼はトリックの大仰さではなく、推理を組み立てていく過程そのものの優雅さにあります。創元推理文庫からは大西尹明訳の旧版に加え、2019年に山田順子による新訳版が刊行され、現在も入手しやすい状態が保たれています。プーの作者がこんなにも端正な本格を書いていたのかという素朴な驚きと、英国カントリーハウス本格の原型を確かめる楽しさ、その両方を約束してくれる古典です。