ミステリーとしての読みどころ
クリスティ後期マープルの中でも、繰り返し読み返してしまう一作です。原題の「They Do It with Mirrors」は、マジシャンの仕掛けを指す英語の俗な言い回し――観客の視線を一点に集めておいて、本当のことは別のところで起きている、という発想がそのまま物語の骨格になっています。邦題の「魔術」もここに由来します。
少女時代の旧友からの「妹のキャリイ・ルイーズが心配なの」という懇願を受け、マープルが訪れる先は、ヴィクトリア朝の古びた大邸宅ストーンゲイツ。隣接する非行少年更生施設、社会事業に身を捧げる三番目の夫ルイス・セロコールド、屋敷に同居する複雑な血縁関係の人々――その不穏な空気の只中で、二つの出来事が同時刻に発生します。
舞台設定が抜群に良いのです。古色蒼然たる屋敷と、隣接する更生施設という福祉的な熱気。理想に燃える夫、その理想にどこか巻き込まれている妻キャリー・ルイーズ、彼女を案じて遠方から呼ばれてやってくる老淑女マープル。家族のテーブルにつく面々のひとりひとりが、それぞれの思惑と過去を抱えていて、誰の善意がどこで歪んでいるのかが最後まで判然としない――この居心地の悪さが本作の真骨頂です。
マープルが「鏡」という言葉をふと口にする瞬間、読者の視界がぐにゃりと反転する感覚があり、ここが本作のクライマックスと言って差し支えないでしょう。物理トリックを愛するタイプの読者にも、心理の綾を読みたい読者にも、それぞれ別の角度から効くように書かれているのが見事だと感じます。
マープル長編をシリーズ順に読み進めている方の、ちょうど折り返し地点として。派手な不可能犯罪より、「視線の誘導そのものが仕掛け」というタイプの企みが好みの方に。戦後イギリスの、福祉と階級と旧家の屋敷が同居する独特の空気を味わいたい方に。タイトル自体が仕掛けの方向性をうっすら示唆してしまう作品ですので、解説や紹介文を深追いせず、田村隆一訳のクリスティー文庫版でそのまま頁を繰り始めてしまうのが一番おいしい読み方だと思います。